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2004年 11月 16日
20041030 中越地震の被災者救援活動
 10月23日に起きた中越地震は、日が経つにつれ、その被害の大きさがわかってきた。川口町では震度7という最大級の地震だったことも明らかになってきた。

 30日、中越地震の被災者救援活動で、長岡市の笹崎に設置された日本共産党の救援センターで活動してきた。全国各地から、たくさんの老若男女が支援に集まってきていた。支援物資も各地からトラックで次つぎと運び込まれて来ていた。
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 センターが設けられた宮内地域は、水道が復旧し、ガスも一両日中に復旧の見通しといい、比較的安定していた。それでもセンターには近所の人たちがひっきりなしにやってきていた。「数百m西の錦町の空き地に100人ほどが避難しているのでそこに物資を持っていって欲しい」というので、山梨からきたという女性と富山県の男性グループと組を作り、地元の人の案内で、支援物資を持っていった。空き地は、ガス復旧の基地になっていて、「近くにある豊田小学校が避難場所になっている」というので、そちらに届けることにした。市の担当者は、「物資は足りています。夜になると2倍以上の人になりますので、いただいておきます。」ということだった。

 午後、党の宣伝カー(ワゴン車)に、りんご、みかん、りんごジュースを積んで、再度、錦町を訪れた。今度は路上から住民に直接呼びかけた。
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 こちらは日本共産党の救援センターです。今度の地震では大変なご苦労をされている住民の皆さんにお役に立ちたいと、全国に支援のお願いをしました。たくさんの物資が届けられてきています。今日は、その内のわずかではありますが、りんご、みかん、りんごジュースを積んで来ました。お分けしますのでお出でください。一日も早い復興の力にしてください。

 家から路地からぞろぞろとお年寄りや子供が出てくる。「本当にもらって行っていいんですか」「ハイ、いいですよ」「ありがとうございます。助かります」「必要なものがあれば、ここに電話してください。届けますので」「こんなとこまで物を持ってきてくれるのは共産党だけだね。他の党もやればいいのに」
 あっという間にワゴン車いっぱいの果物類は無くなった。
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 そのあとに行った市東部で被害が大きいという栖吉地域は大変な状況だった。道路にはいたるところに大きな窪み――陥没ができていて、手付かずの状況だ。歩道は波打っているし、道の真ん中に壊れた家具が置いてあるので何かと見ると、大きな陥没があるのだった。状況に応じた住民の知恵だ。いたるところに壊れた家具類が山積みになっていた。電気はきているがガス水道が復旧していないために、煮炊きができない状況が続いていた。給水車が活動していた。ここでも同じようにマイクで呼びかけた。降り始めた小雨の中、母子連れやお年寄りが集まってくる。ここでは持っていった毛布がすぐに無くなった。「怖くて家の中に入られんから」という。「パンやカップメンばっかりだったので」と果物類はどこでも好評だった。「避難場所の公園に行ったら、そこにも亀裂が走っていて、もうどうしていいか分からなかった」と、当日の状況が堰を切ったように話される。「戸が開かなくなった」というお宅は、一見何もなかったかのようだが、「真ん中が盛り上がって、ほらここに亀裂が走っているんだよ。この家には住めないね」というような家が続いていた。

 行政が設置した避難所には行政サイドから物資が届けられていて、「物資が余っている」という状況もあるらしいが、一歩現場に入ると状況は大違いだった。まだまだその日の食べ物にも苦労する状態だ。そのため、りんごとかみかん、バナナなどが喜ばれる。長岡市よりも被害が深刻な市町村の状況はどうなっているのだろうか。
 現地に行ってみて、「災害対策」についていろいろ考えさせられた一日だった。

by TOSHIHIRO_SUGIMOT | 2004-11-16 23:40 | 日本共産党 | Comments(0)