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2008年 11月 01日
20081101 城北中学校「校舎竣工・創立50周年記念」
b0013099_1240940.jpg 「朝まで大雨」という天気予報の通り、すごい雨が降っていたが、午前中に上がり、秋の陽射しが返って(帰って?)きた。午後から城北中学校の「校舎竣工・創立50周年記念」式典、夜は祝賀会だった。

b0013099_12394390.jpg 「記念誌」の表紙に「ともに育つ ともに生きる 地域の学校」と書かれている。この学校の今の姿をそのまま現した言葉だ。「ともに育つ」も「ともに生きる」も生徒が学校の中で生徒と「ともに」という意味はもちろんあるが、もっと大事なことは、「地域とともに」ということだろう。
 「校舎改築では、これまで以上に地域との絆を大切にした地域参加型の学校づくりを進めていただきました。新校舎の基本設計から「住民、学校、行政が協同して考え、つくる」地域に開かれた学校を目指して、学区会・PTA・学校評議員・学校職員によるワークショップで熱心に研究が進められました。」(「記念誌」中野敏明校長の「感謝と決意」より)
 「生徒や卒業生からの要望が多かった城北のシンボル「まわり階段」「波型玄関」は、旧校舎よりスケールアップして造られ」(同上)たし、「校舎一階には、図書室、メディアコーナー、ギャラリー、音楽室、調理・被服室が配置され、地域の皆さんの生涯学習の場、コミュニティ活動の場として活用され」(同上)ることにもなった。
 私が何よりも注目しているのは、グランド周辺が「塀」ではなく、「緑の小道」がめぐらされ、「憩いの広場」が造られていることである。昨今の風潮を反映して学校の回りを頑丈な塀で仕切るところが多い中、「どなたでも、いつでもどうぞ」という、そういうつくりになっているのである。
 東本町小学校もそうであるが、もともと住民と学校との結びつきの強い地域ではあった。わが家では三代にわたって東本町小学校に学んだし、私と子どもたちは城北中学校の卒業生である。どこの家もそんな環境なのである。

b0013099_12395776.jpg 城北中学校も十数年前、大荒れに荒れた時期があった。学校も親もそれに立ち向かって克服した。その時に掲げられたスローガンは「日本一の中学校をめざして」ということだった。一時期体育館にこのスローガンを大書した垂れ幕が下げられていた。今掲げられているのは、生徒の書による「限りなき前進こそ我らの姿」という生徒会スローガンである。あの時代を通り抜けて地域とのかかわりがいっそう強くなったのではないだろうか。

 式典では、50周年記念曲「城北の地で」が披露された。第2回卒業生の郡司ななえさんの詩に上越教育大学の大熊崇子さんが曲をつけたものである。卒業式の日に一度聴いてはいたが、あらためてすばらしい感動を覚えた。生徒たちの歌声に、歌詞も曲もマッチしている、そういう曲なのだ。後半にこんなフレーズがある。「わずかに違う みんなの個性 受け入れながら 友達でいよう」。荒れた時期から立ち直ったことを見ていたような言葉ではないか。前半の「ステンドグラス 差し込む光 手に受けながら 心の色をさがす」というところも好きだ。柴田長俊氏の手によるステンドグラスが、「十人十色」を象徴しているのだと思う。

 「本校は、昭和34年9月、北陸随一を誇る白亜の殿堂と評された校舎に、当時の大町中学校と春日中学校が統合し」(同上)て発足した。その前3年間は、「城北小学校」として使われていた。私などは、4月に大町中学校に入学し、8月の夏休みに「民族大移動」して城北中学校に移った年代である。今なら大問題となるだろうが、生徒が自分の机と椅子を担いで、大町の通りを運んだのである。
 校歌がつくられて披露される。校章のデザインが(確か)公募されて発表された。今思うと先生も生徒も「燃えていた」と思う。

 そんな思いがいっぱい詰まった城北中学校の「校舎改築・創立50周年記念」だった。

 城北中学校のHP
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by TOSHIHIRO_SUGIMOT | 2008-11-01 22:38 | ●歩み・思い出 | Comments(0)

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