カテゴリ:●歩み・思い出( 33 )

2017年 08月 21日
20170821 【訃報】高山森雄先生が亡くなられた
 15日の上越タイムス訃報欄のトップに、高山森雄先生が亡くなられたことが載っていて、おどろいた。新聞記事を見たのが17日だったので、16日の通夜には行けず、17日の葬儀に参列した。先生方が多い中、教え子は私一人のようだった。

 高山先生は、私が城北中学校2年になった時、同行に赴任してこられ、そして私たちの担任になられた。数学の教師で、授業にはいつも60cm位の細い竹の棒を持ってこられた。
 「高山先生のおかげで、数学が嫌いになった」という同級生が何人もいるが、私の場合は逆に、この先生のおかげで数学が好きになった。「フィーリングが合った」とでもいうことだろうか。
 酒の好きな先生だった。同級会をやった折など、なかなか大変だった。

 市議選に立候補した際、恐る恐るご挨拶に伺った。「がんばれよ」と言われて、ホッとしたことを今でも思い出す。四九市などで街頭宣伝をしていると、人目をはばかることもなく、「やってるな」などと声をかけてもらったこともたびたびだった。
 町内の方が「最近まで、南本町小学校あたりまで歩いていらしたのにね」と言っていた。そういう姿に、何度か出くわしたこともあった。
 葬儀式で息子さん夫婦にごあいさつした際、「教え子が市議に立候補するといって、喜んでいました」と、話された。

 新聞の訃報欄には、「老衰」と書かれていた。享年91歳とのこと。



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by TOSHIHIRO_SUGIMOT | 2017-08-21 22:51 | ●歩み・思い出 | Comments(0)
2017年 07月 08日
20170708 【高田高校】大校友祭
b0013099_22232355.jpg 毎年7月の第一土曜日は、高田高校の同窓会=校友会の総会と懇親会なのですが、今年は今日8日に行われました。
 来年は、145周年だそうです。我々が在校していた時に、90周年記念の行事がありました。すごい歴史ですね。
 昨年は欠席しましたので二年ぶりに、同期の仲間に会いました。お互いにまた2つ歳をとり、白髪もしわも増えていましたね。それでも会えば、あの頃に一気に戻ってしまうのだから、不思議ですね。
 二次会でも、おおいに飲んで、語って、別れてきました。


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by TOSHIHIRO_SUGIMOT | 2017-07-08 22:05 | ●歩み・思い出 | Comments(0)
2017年 04月 21日
20170421 【家系】わが家の過去帳
 20日、父の月命日でした。お寺さんが、お経をあげに来てくれました。
 実は、前々から気になっていたのですが、わが家の過去帳です。たくさんの名前が書かれているのですが、詳しく見たことがなかったのでした。

 ここは、一つのチャンスだと思い、過去帳を開いてみました。全部で26人です。何と、江戸時代の元号がいっぱい書かれていました。「これは、ちょっと調べてみる必要があるな」ということで、何か記載されているページを、CamScanner でPDFに取り込みました。そしてエクセルに書き写し、年号から西暦を調べて、対象した表を作成しました。
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※明治20年と22年の「杉本又蔵ノ妻」は、どちらかが間違いだと思います。並べ替えて分かりました。

 驚きましたねえ。一番古いのは、寛永5年=1628年に亡くなっていますから、約390年前です。先ほど「高田開府400年」でしたから、この人は開府前後の人だということがいうことが分かりました。松平忠輝公の頃の話になります。「万世一系」まで遡れませんが、「それなりに由緒ある家なのだな」ということも分かりました。
 この表を見ると、年代がかなり飛び飛びになっています。おそらくその間を埋める人たちもいたのでしょう。今となっては調べ見ようがないなとも思いました。

 私の父は「吉太郎」です。その父(私の祖父)が「善次郎」までは分かります。「善次郎」さんの話は、母から聞いていますので、何となく身近に感ずる気がします。しかし、「善三郎」「又蔵」の関係が、イマイチ分かりません。



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by TOSHIHIRO_SUGIMOT | 2017-04-21 22:37 | ●歩み・思い出 | Comments(0)
2017年 04月 14日
20170414 【思い出】めずらしい出会い
 そうそう今日は「広報じょうえつ」等を組長に届けていて、めずらしい出会いがありました。2番目の妹と同期の女性に会ったのでした。最初は「介護の人かな?」と思ったのですが、「ンッ」と、引っかかりました。
 戻って「○○さんですよね」と聞くと、「さっき母が、□□さんのお兄さんだよって、言ったので、びっくりしました」と。最後に顔を見たのは、50年も前のことです。それでも「ンッ」と感じるものなのですね。


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by TOSHIHIRO_SUGIMOT | 2017-04-14 20:48 | ●歩み・思い出 | Comments(0)
2017年 03月 20日
20170320 【思い出】古い書籍「日本料理法」が出てきた
 先日、ひな人形を片づけていた妻が、「こんなものが出てきたよ」といって、段ボール箱をもってきました。その中に古い写真などとともに、変色した古い日本料理の本がありました。「日本料理法」という書籍です。
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 この本がわが家にあることは知っていましたし、以前パラパラとでしたが、開いたこともありました。それがある時から「行方不明」になっていたのでした。「どーせ、なんでも処分大好きの母が、処分してしまったのだろう」と、思っていたのでした。それが思いもよらないことで、再見できたのでした。うれしかったですね。

 実はわが「杉本家」は、私の祖父(善次郎)の代=終戦間近まで、高田市直江町(現・東本町4丁目)で「御料理 杉本」という料理屋を営んでいたのでした。場所は、現在「小嶋畳店」の倉庫・車庫になっている所です。
 祖父善次郎は、田端町(現・仲町3丁目)の老舗料理屋の次男で、杉本に婿に入った人でした。腕は確かだったらしく、「高田の司令部に料理を入れていた」のだそうです。
 当時は、新道村や津有村から高田の街に来る場合、稲田橋を渡って、東本町の雁木通りを通って本町へと行くわけですが、その時、「御料理 杉本」の前を必ず通るわけです。祖父が田端の出だったこともあり、その「御料理 杉本」には「田端の芸者が来る」ということでも有名だったようで、おおいに繁盛する“はず”でしたが、ことはそんなにうまくはできていなかったのでした。

 祖父は腕は確かだったのですが、酒には目がなかった。母に言わせれば、「赤ら顔の人だと思っていたら、朝から酒飲んでいたんだってさ」というほどだったそうです。
 当時の魚問屋は今の「うきよ」の隣り辺りにあったようですが、そこへ、一杯ひっかけてから仕入れに行くわけです。そして帰りに「お得意さん」に魚を卸しながら帰ってくるのですが、あっちでも「一杯」こっちでも「一杯」と勧められ、店に戻るころには当然「いい加減」になっているわけです。「掛け売り」ですが、「通い帳」に書き入れてない、代金を回収できない等々が重なり、祖父が昭和9年に亡くなってから、廃業してしまったのでした。

 戦後の困難な時期、「十人揃え」とか「二十人揃え」と書かれた木箱に入った椀・皿・小鉢等々が、米に変わったといいます。
 それでも私が小学校に入学する頃にはまだ、「御料理 杉本」の看板はありましたし、名残の茶碗やお椀・皿で朝飯や夕飯を食べたものでした。今でもどんぶり物でドンブリが活躍しています。
 この「日本料理法」という本は、こうしたわが家のルーツを伝える貴重な資料の一つなのですが、それが「出てきた」というのは、私にとってはたいへんうれしい出来事でした。

 「治庖会」というのはどんな会なのか、ググってみました。「扉」にある「治庖会本部教授赤堀峯翁」とは、この「赤堀峯吉」のことだと思います。

【治庖会について】
ウィキペディア「料理研究家」
「有名な料理研究家一覧」中、「日本」の「19世紀」「赤堀峯吉」の項
赤堀峯吉 - 1882年(明治15年)に日本最初の料理学校である赤堀割烹教場(2013年現在の赤堀栄養専門学校)を創設するとともに多くの料理書を著した。1892年(明治25年)9月に治包会を創立し調理実習教育の普及に努めた。


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by TOSHIHIRO_SUGIMOT | 2017-03-20 16:23 | ●歩み・思い出 | Comments(0)
2016年 03月 07日
20160307 【思い出】清酒「清滝」
 高校の同期会のMLに清酒「清滝」に関する、投稿がありました。

 先日蔵の整理をしていましたら珍しいものを見つけました.・・・
 上越市東本町4丁目にあった「高山酒造」の清滝という酒です.捺印されている日付から見て40年前のものと思われます.味は甘味が増して老酒に近い味になっています.元の味はわかりませんが,うまみが増しているように感じます.酒屋を探しましたが今はもう無いようです.どなたかご存知の方教えていただけたらと思います。


 触発されて、下記のようなことを投稿しました。

杉本敏宏です。
 「清滝」なつかしいですね。中村晶夫さんの旧宅の向かいにありました。私の祖父は中村宅の隣で料亭を営んでいまして、出す酒は「清滝」だったと聞いています。向かいですから、当然といえば当然ですけれど。
 小学生の頃、よく父に「酒買ってきてくれ」といわれて、買いに行って来ました。今みたいに一升瓶じゃあありません。2合瓶を持って買いに行きました。
 買ってくると「誰が出てきた」と聞くのです。「若旦那」というと、がっかりした顔をします。「おばあさん」というとニコニコするのです。理由は簡単。若旦那は2合の柄杓で1杯、それもこぼれる寸前で入れるのです。おばあさんは、1合の柄杓で2杯、それも少しこぼれてから開けてくれるのです。
 今から見れば、「・・・」と思いますが、当時にしてみれば、その差は大きかったのでしょうね。

 ところでその「清滝」ですが、今は跡地がデイサービス(わが母も通っている)になっています。もう、20年も前になると思いますが、新潟市の「佐藤」という酒販会社に売却されました。数年前まで営業していましたが、店仕舞いしてデイサービスに変わったのです。
 造り酒屋をやめた時、そこに働いていた杜氏さんたちの多くが、「君の井」に移ったといいます。私の主観ですが、「清滝」の味なんかは「君の井」に引き継がれているように感じます。それで、今では「君の井」を愛飲しています。

 話は替わりますが、ある日本酒の4合瓶(いただいたものです)を5年ほど放置していたことがあります。「酸っぱくなってるかな」と思いながら、開けてみました。これが、「美味」でしたね。参加しないようにしてあれば、「古酒」はうまいものだと思いました。




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by TOSHIHIRO_SUGIMOT | 2016-03-07 23:19 | ●歩み・思い出 | Comments(0)
2015年 12月 04日
20151204 山本宣治の碑と別所温泉北向観音と
 別所温泉での集まり。3日の夜は、若かりし頃の話で大いに盛り上がりました。

 4日の朝は、ぐっと冷え込んで開けました。誰かが「ミゾレガ降っている」といっていました。

 朝食後、安楽寺の境内にある山本宣治の碑に行ってきました。となりにタカクラテルの碑もあります。案内看板には、山宣の碑を命がけで守ってくれた人がいたことが記されていました。
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 その後、北向観音に行って見ました。10人ほどの人が、お経をあげていました。大僧正だった半田幸海師には、学生の頃一度会ったことがあります。
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 有名な「愛染桂」も見てきました。




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by TOSHIHIRO_SUGIMOT | 2015-12-04 20:35 | ●歩み・思い出 | Comments(0)
2015年 11月 20日
20151120 【歩み】父の命日
 今日11月20日は、父の命日です。お寺さんが来てお経をあげてくれました。

 父が亡くなったのは、昭和38年(1963年)11月20日です。46歳という若さでした。実は祖父の命日は11月4日。昭和18年に50歳で亡くなっています。「若くして亡くなる家系」のような雰囲気があるものですから、父の亡くなった歳を超えた時には、何かホッとした気がしたものでした。
 父が亡くなった時、私はまだ17歳で高校2年生でした。人生の岐路に立たされたのですが、今思ってもそんな悲壮感はなかったように思います。今でも「人生何とかなるだろう」という気持ちが強いですが、その当時もそうだったのかもしれません。ただ、学校の成績が、ガクッと落ちたのは事実でした。やはりショックがあったのだと思います。

 いわゆる母子家庭ですので、経済的に豊かではありませんでしたが、悲壮感とかはありませんでした。どちらかといえば、伸び伸びと青春を謳歌していたのではないかと思います。

 通夜の翌朝、「ケネディ暗殺」というショッキングなニュースが飛び込んできたのを今でも鮮明に覚えています。
 あれからもう、52年も経ってしまったのですね。


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by TOSHIHIRO_SUGIMOT | 2015-11-20 12:46 | ●歩み・思い出 | Comments(0)
2015年 10月 31日
20151031 最後の「卒業60周年総会」の実行委員会
 今日(31日)午前、先日17日、若水会(高田高校1965年卒の同期会)の総会の最後の実行委員会が、母校の同窓会館でありました。

 卒業生360余名の内、83名が出席(他に4人の恩師)。「盛大な会になって良かった」「50年振りの再会がうれしかった」等々の声が出されました。本当にその通りで、「一瞬に、あの時に戻った」が、皆さんの実感ですね。
 考えてみれば、3年間一緒だっただけなのですよね。でも、あの年代だからこそ、こうした感情になるのだろうなとも思いました。これは、中学の3年間、大学の4年間に共通するものだなとも思いました。

 「参加者一人2000円程度を母校に寄付しよう」というのが、当初からの予定でしたが、僅かですが「20万円を寄付する」ことにしました。有効に使っていただければと思いました。後日、代表が持参することにしました。

 さて、この後はどうするか。「60周年では、みんなどうなっているか分からないな」というのは、一致した意見です。何せ80歳になりますからね。まあ、「お互いが元気な間に、何か考えよう」が、暗黙でしょうか。


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by TOSHIHIRO_SUGIMOT | 2015-10-31 22:02 | ●歩み・思い出 | Comments(0)
2015年 10月 26日
20151026 松尾武久さんを偲ぶ会
 信大学士山岳会の重鎮、松尾さんが急逝されたのは、今年の3月でした。その「松尾武久さんを偲ぶ会」が、25日、東京は両国であり、出席しました。松尾さんの人柄をあらわすように95人もの人たちが集いました。

 松尾さんとのお付き合いは、2009年の「信州大学学士山岳会60周年記念事業」の準備段階からのことでした。

 私が入学したのは1965(昭和40)年ですが、その頃、各地に散らばっている学部を一ヶ所に統合する「全学統合」という動きがあり、自治体や経済界も含めて賛否両論の運動が展開されていました。信大山岳会は、松本・伊那、長野、上田にそれぞれ山岳部がありましたが、大学の統合に先行して信大山岳会への統合の話が進められていた時期でした。そんな状況でしたから、繊維学部の上田山岳部は他の二つの山岳部とは、あまり交流がなかったのでした。(66年に教養(1年次)だけが松本に統合されたため、私の次の学年からは、最低1年間は松本で新人時代を過ごすことになりました。)
 そういう当時の状況を反映して、実は私は、他学部の山岳部員とはほとんど面識がなかったのでした。

 2009年の「信州大学学士山岳会60周年記念事業」は、そうした状況を一変させてくれました。それまで名前だけしか知らなかった松尾さんと親しく話をすることができたのも、この事業のおかげだと思っています。とりわけ私が参加した第3隊「アンナプルナ一周トレッキング」の隊長が松尾さんだったこともあって、様々な場面でいろんな話をする機会が生まれました。
 「アンナプルナ一周トレッキング」は、私を信大学士山岳会に導いてくれましたし、いろんな場面でメンバーの中に自然に溶け込ませてくれたのが、松尾さんだったと思います。

 「松尾武久さんを偲ぶ会」に参加して、いろんな人たちの松尾さんに対する思いを聞き、あらためて「すごい人だったのだな」と思いました。


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by TOSHIHIRO_SUGIMOT | 2015-10-26 18:52 | ●歩み・思い出 | Comments(0)