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2013年 04月 29日
20130429 梅山郁雄先生
 田中ミネさんの通夜・葬儀と同じ会場で、梅山郁雄先生の通夜・葬儀が行われた。

 梅山先生には、城北中学校のブラスバンド=吹奏楽部でたいへんお世話になった。大町中学校と春日中学校とが合併して城北中学校ができた翌年に赴任されてきたと思う。城北中発足を機に、PTA等が中心になって当時のお金で約100万円を集め、楽器を一新してくれた。その楽器を生かし、部員を奮い立たせた梅山先生の指導で、城北中吹奏楽部は大飛躍をしたといえる。
 当時の上越地方では、城北中、城南中、新井中が吹奏楽の覇を争っていた。新潟県内でもトップクラスの三校であった。

 梅山先生の指導では、二つのことが今でも記憶に残っている。
 一つは、「本物の音に学べ」ということ。当時はテープレコーダーなどというのはたいへん高価なものだった。レコードでオーケストラの演奏を聴かされたりした。「トランペットはこんな音を出せ」「クラリネットはこういう音だ」というわけである。自分の出している音が、それに近づいているかどうかを、本人はなかなか知る術がなかったが、そこは仲間同士が切磋琢磨したものだ。そういう点では、先生が生徒に「ああだ、こうだ」といったのを聞いた記憶がない。放任ではない自主性をたいへん重んじた指導だったのだと、つくづく思う。
 もう一つは、「初見でどこまでついてくるか」ということ。梅山先生は、新しい曲の楽譜を買ってくると、それを配って「さあ、始めるぞ」と言って、いきなり指揮棒を振ったものだ。初見=楽譜を始めてみてどこまでついていけるかということだ。短い曲でも最初はほぼ全員が音を出しているが、一人減り、二人減りでだんだん少なくなっていくのである。長い曲になると、最後には誰もついていけなくなるということもあった。これは「楽譜を読む力」をつけてくれたと思う。

 他にもいろいろ教えてもらった。「楽譜を見ていても、指揮者が見えるように」とか「自分で吹くだけでなく、周りの人の音も聞け」とか。当たり前といえば当たり前なのだが、中学生にとっては貴重な経験だったし、その経験がその後いろんなところで役に立った。授業以上に学んだことが多かった。
 新潟大学の高田分校でピアノの練習をした時の話を聞いたことがある。学校のピアノの順番を取るために、朝早く清里村の菅原神社から出てきて、練習した。冬、雪が降るとたいへんだったというような話だった。「上手くなるには努力が必要」ということなのだが、多くの部員がこうした話に発奮して練習に励んだものだ。

 大学を卒業して上越市に戻ってきたが、登山にのめりこんでいて、コルネットのことなどすっかり忘れてしまっていたので、梅山先生とお会いすることもなかった。吹奏楽連盟の役員に就任されたというニュースを聞く程度だった。
 上越市議選に立候補した時に、支援のお願いに伺ったことがある。定年間近かの頃だったと思う。ピアノの音がしていたのを覚えている。いろいろしがらみがあったと思うが、昔と同じようにニコニコと迎えてもらったものである。

by TOSHIHIRO_SUGIMOT | 2013-04-29 20:27 | ●歩み・思い出 | Comments(0)