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2005年 09月 28日
20050928 追悼、小柳一彦さん
 小柳一彦さんが亡くなられ、お通夜がとり行われました。葬式が明日の本会議の時間と重なるので、参列させていただきました。突然の、しかもまだまだこれからという75歳の死に、言葉もありませんでした。
 小柳さんには、党後援会の活動や上越市の水と緑を守る会の活動などでたいへんお世話になり、たくさんのことを学ばせてもらいました。
 もう20年以上も前のことになるでしょうか。日本共産党上越市後援会でごいっしょしたのが最初だったと思います。それまで、高田と直江津にわかれて活動していたのですが、一本化して活動を強化しようということから、市後援会に統合されたのです。この時、小柳さんは直江津後援会長として活動しておられ、ともに活動することになったのでした。発足した市後援会は、会長が堀内金吾さん、副会長が小柳さんと神谷秀吉さん、福冨彦作さんなどで、確か30代後半だった私が事務局長という大任をおおせつかったのでした。労働運動の中で鍛え上げてきた組織論や党活動のあり方、行政との関わり方などまで、実にさまざまなことを学ばせてもらったものです。この当時学んだ「感性」が、いま生きていると思います。これらの方々は既に皆、故人となられました。小柳さんだけが頑張っておられたのでした。
 桑取でのゴルフ場建設をめぐるたたかいの中で、上越市の水と緑を守る会が結成されたのは、1990年9月のことでした。代表委員制でしたが、青柳健嗣さんが会長役、小柳さんが副会長役、ここでも私は事務局長をつとめさせてもらいました。現地視察を大衆的に繰り返し、現地での集会なども回数を重ねて開きました。ここには後援会活動でつちかったイベントの持ち方のノーハウがおおいに役立ったものでした。対市交渉や対県交渉も何度も行いましたが、小柳さんの緻密な資料収集がこれらの交渉を支えていました。そして、これらの活動の合間に、「団結を固めよう」と、三人で高田や直江津で酒を酌み交わしたのがつい昨日のことのように思われます。そして、県交渉から帰ってきたとたんに、「ゴルフ場建設断念」の報を受けたときは、おおいに盛り上がったものでした。
 その後も小柳さんは、自然保護や環境保護の問題では積極的に活動してこられ、にいがた自治体研究所の環境部会や上越支部の活動などにも携わってこられました。それらの活動を通じて、その都度、交流させていただいてきました。
 お伺いするとたくさんの資料を持ち出してきて話をしてくださる姿が今でも鮮明に思い出されます。大事な人をまたひとりなくしてしまいました。

by TOSHIHIRO_SUGIMOT | 2005-09-28 22:11 | いろいろ | Comments(0)