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2008年 07月 02日
20080702 「継続審査」をどう見ているのか
 急遽開かれた今日の文教経済常任委員会を傍聴しました。市長が出席するという異例の展開になりました。市長が委員会審議に出席するというのは、私の12年の議員経験の中では、宮越馨前市長の時に一回あっただけです。それほど上越市議会では異例のことなのです。

 木浦市長は、6月27日以降のイカヤ問題についての対応を説明しましたが、その中で、「手順を尽くして提案したのに継続審査となったことは残念だ」という発言をしたのでした。議員の反発を招いたことは当然のことです。「行政と議会とは車の両輪」といいながら、その実、「議会は行政の追認機関」と考えていることの現われだと思いました。

 「市長憎し」の感情から、市長に打撃を与えようとして、議案を「否決」したり「継続審査」にしようとするケースもあります。その場合には、「負けた」とか「勝った」とかということになります。しかし今回のイカヤ問題もそうですが、行政の説明が不十分だったりして「継続審査」になる場合は、そういう尺度では測れません。それをそういう眼で見ているとしたら、まったくの思い違い、考え違いだと思います。

 「地方分権」の中で、議員の責務は日増しに大きくなってきています。行政が遂行したある事業が破綻したりした場合、その責任は行政だけでなく、その事業を認めた議会(賛成した議員だけでなく反対した議員も含めた)の責任も問題になる時代に入ってきています。本当に「論議を尽くす」ことが求められてきています。今回の問題のように不透明な部分を残して「安易に」賛成した場合、「訴訟」ということもありうるのです。
 議会が慎重になるのは、当然なのです。「勝った、負けた」という感覚の中には、議員がおかれている立場が大きく変化してきていることを理解しない(理解できない)ということがあるのではないでしょうか。そうすると「継続審査は残念」ということになったり、「何で継続審査なのか」となったりするのだと思います。本来は「継続審査」になって慎重に審議してもらったら、「ありがとうございました」と、お礼を述べなければならないと思うのです。今日的な視点で「継続審査」の意味を考えてもらいたいものです。

by TOSHIHIRO_SUGIMOT | 2008-07-02 22:16 | 市政の諸問題 | Comments(0)